2008年11月25日
読書にのめり込む際には、すこしばかりの準備が必要だ。
あたたかいアップルティを用意して、机と平行になるように椅子を反時計回りに90度回転させる。足を組んで机の縁にひじをつき、さらに灰皿を手もとに、机の右端から反対側の左端へと移動させる。
ひととおり準備が整ったら、大様にページをめくってティーカップに口を付け、ふむふむと頭の中でうなづく。
しばらく読み進めていると、頭がしんなりしてくるので煙草に火を点ける。
自分の吐いた煙で目がチカチカするのか、活字の版ズレにめまいがするのか、たまに後頭部、机と垂直に位置する後頭部のあたりが痛くなるので、壁掛けの時計に目をやる。
時間は相変わらす合ってないけれどもね。
そうして、また目の感覚が普段のとおりに戻ったのを確認して、ページをめくる。
煙草の味は読む内容によって、千変万化にめまぐるしく変動する。優しい苺味になったり、紙で指を切ったときの苦い血の味がしたり。
あまりにおいしい味のときには、先端の灰を落とすのを忘れてしまうこともあるくらいだ。
たまに虫の味もする。
小さい頃に、ご飯と一緒に小さな虫を食べてしまったことがあった。
胃袋に入ったモノがどうやっても取り返しがつかないものだと思っていた子供の頃。
のどに手を突っ込んで吐き出す手段を知らない子供が、あわてふためいて母親に訴える。
ああどうしよう虫を食べてしまったよ。死んでしまうよどうしよう。
この死んでしまうよは、もちろん虫ではなくて自分のことだ。
母親はひとこと言ってのける。
大丈夫よ。カルシウムだから。
そういう話を親しい女の子にしたら、わたしの親もそんな感じだったよと言われた。
つまりはどこの親も、きみの親も子供の食べた虫をカルシウムと呼ぶんだね。
これは読書についての話。だったはず。
虫以外にもたまに邪魔者がやってくる。
今日みたいな雨の日には、鈴を体のどこかに縛り付けたお婆さんが窓の外を通り過ぎていったりする。もしかしたら雨の日にしかやってこないから、傘に鈴が括り付けられている可能性もあるなあ。
しかしあの軽やかな鈴の音色は、雨の滴でミュートされたようなへんてこな音ではないものだから、きっとやはり体のどこかに取り付けているのだろう。雨の日には、なにかを避けるために、なにかを遠ざけるために鈴を付けて歩いているに違いないのだけれど。それが何なのかは考えないようにしている。むしろ重要なのはその音色だから。
お婆さんは一方通行だ。傘に隠れた小さな背中だけ。決して戻ってこない。だから後ろ姿しか見たことがない。もしかしたら、お婆さんに見えるけれど、女性的なあしらいをするお爺さんなのかもしれない。
「行き」ではなくて「帰り」なのかもしれない。
今日読んだ本は、おおむねそのような内容の本だった。
本をじっくり読みふけるためには準備が必要で、灰皿は机の端から端まで移動し、端から端に移動したことを忘れるくらいに読みふけったあとには、いつもの灰皿がある場所に、つまりはいままさに灰皿のある場所の反対側に、煙草の吸い殻が山盛りになっている。
その灰を片づけるのは、とても気分がいい。

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