2008年5月 5日
東照宮の静謐さには超大な力を感じます。
あの地はなにか神秘的な雰囲気に溢れているのだけれども、それは人間ができうる構築か建築によって、なんとかして自然やら人間以外の絶えない何かと一体化もしくはそれを閉じ込めようとしたからなんでしょうね。一部が膨大放出したら、いずれその一部は無くなってしまいますから。
もちろん神社という形であって、それは偉いお殿様の宿であったり、お墓であったり、奉る意味合いはあれど、それを永遠のものにしようとしたとき、つまりお仕舞いが見えないようにするために当時の職人さんたちはすんごい頭をふる回転させて、技術をふる動員させてつくってやるぞという心持ちになっていたわけで。静謐をつくり出したというのは、なるほど当たり前でしょうか。
東照宮のあちこちにおわします陰陽、表裏、天地、左右は対になるものであって対にならず、つまり終わりがありません。そこに恒久の平和を見出したわけですが、とりわけ目立ってるのが陽明門。日暮門とも呼ばれます。たしかに一日見ていても見飽きない。みるからに厳かななりで完璧とも思えますが、幾本かある柱の中で一本だけ模様が逆につくられています。それは魔よけの逆柱。未だ完成していないんですね。というか永遠に完成しない。崩壊し得ないところを保ち続けるって寸法は、なんとまあ。
その門前は日本一運気の高まる地。高まってまいりました。
家康公の墓を見て、兄貴が「久しぶりにちゃんとした青銅の色を見た」と。ほうほうとして。
小さい頃に見た眠り猫はもっと大きかった気がしますが。こちらが大きくなったということでしょうか。それはそれでおめでたいことです。鈴鳴きの龍の声も昔よりはっきり聞こえました。はて。
日光は遠足で飽きるほど行ったと思ってましたが、小さい時分にはいろは坂が最大の難関だったわけで、乗り物酔いに勝るアトラクションはなかったという情けない過去。
自転車で駆け下りた想い出も巡りつつ、華厳の滝と中禅寺湖ででっかい水分を吸収。久しぶりの遠足は久しぶりの連続で、なかなか連休らしい過ごし方をしたなと。残り1日と4分の1を惜しむわけです。
さて、
ドリームウィークは予定外に想い出迷子になりすぎた。わきまえる。
肉を食べ過ぎた。酒を呑みすぎた。わきまえる。
創作が滞っている。これはなにか血流とリンクしている気がするが。
迷想ではなく、瞑想めいそう。

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